オイルマッサージ(いかがわしい話ではないです)
(タイトルが完全にそういう日記みたいになっていますが、悲鳴をあげつつある孤独な貧弱男の心身のメンテナンスのための大真面目なエントリーですので、どうかご安心して読み進めていただけますと幸いであります…m(__)m)
仕事の疲れが取れない!(大して働いていないのに…)
年度末が近いこともあり、定常的に多い業務量がさらに増えています。
「無限に働ける」と会社から認識されているアラサー独身サラリーマンとして、身を粉にして働いています。
年間残業時間が400時間を超えるのは、社会人8年目にして初めてのことです。
「アンタが残業したところで大した割増賃金にならないんだから全部つけろ。つけなかったら承知しないぞ」という男気溢れる係長の方針で、残業代がきっちりつくのは幸いなことです。
とはいえ、好き放題サブスクライブされて耐えられるほど強い身体の持ち主ではありません。
係の所掌業務のすべてを把握しようとする課長級管理職のもと、数値や社内説明資料の端々の完成度を極限まで高める日々が続きますが、ここ3週間くらいは、どうも心身の疲労が取れなくなりました。
ストレスの原因
30に差し掛かる年齢や、花粉症(と抗アレルギー薬)のせいにするのは簡単ですが、これ!という客観的・合理的な原因をはっきりと見出せないのはなかなか苦痛です。
- 都心に向かう通勤電車での他の旅客の不規則な行動や急病人発生に伴う遅延など、些細なことにイライラする(遅延は日常茶飯事ですが、「まあそんなこともあるか」とあっさり受容することができなくなりつつあります)
- 業務中、どうでもいいことを聞かれて手が止まる(社内の管理部門にいるため、原課やブランチ(支店)担当者からの質問対応がありますが、社内規程やひどいものだとインターネットで調べればわかりそうな質問を平気で聞いてくる)
他、30に差し掛かる年齢や、花粉症(と抗アレルギー薬)のせいにするのは簡単ですが、これ!という客観的・合理的な原因をはっきりと見出せないのはなかなか苦痛です。
原因がわからないと対策も打てず、更に状況が悪化するという悪循環…
社会人として、一人で生きる辛さを思い知らされます。
ストレスへの対応
食事・睡眠・運動など、生活を見直しつつできることをやってみますが、どうも回復しない。いつもは、たくさん寝れば、たくさん食べれば回復するところ、うまくいかない…
未知への遭遇(オイルマッサージとの邂逅)
そんな折、いつものように英語や投資系チャンネルを見るべくYouTubeを開くと、AIが推薦してくる動画の中に、オイルマッサージの動画がありました。
これは…!
「Alt+Tab」に左手をセッティングし続けて発症した慢性的な肩こりを癒し、かつ、日々の有象無象に対するイライラを解消するのは、これしかないのではないか…!
思うや否や、ホットペッパービューティーのリラクを検索し始めます。
(自己流)デューデリジェンス
こういうとき、サクッと勢いで飛び込めればいいのですが、どうも色々と考え込んでしまうのが私の性。
- 本当に男性が言っていい店なのか?
- (比較的)若い独身男性が飛び込んでしかるべき空間なのか?
- 相場に比して高くないか?
- 何時から行くのがいいのか?
思い立ったが吉日、とはいかず、しっかり口コミを調べて、この店!という近場の個人店を発見します。
男性(中年~壮年が多かったですが…)のオイルマッサージの口コミがそこそこあり、平均点が著しく高かったため、訪問を決定しました。
感動体験
マンションの一室のような空間で受けた施術は、想像を絶するものでした。
- 温かい部屋
- フカフカの枕
- フローラル系の甘く芳醇な香り
- 施術者の柔らかく温かい指使い
- 巧みな手技
- しゃべりすぎない程よいコミュニケーション量と施術者の思いやり
それはYouTubeで見る数倍の心地よさを感じさせます。
肩甲骨回りをくねくね・ふにゃふにゃと動くその指先は、石のごとく凝り固まった私の貧弱な筋肉をその周囲から徐々に軟化させていきます。
背中、肩甲骨、首、肩、腕、指、足裏と、60分をフルに使用し、全身の施術を終えたころには、えも言われぬ解放感で満たされます。
施術を終えた今、左肩残りは概ね取れ、首の疲れもだいぶ癒されています。
あわよくば、この効用が長く持続してくれればいいのだが…この後のエントリーで検証していきたいと思います。
反省点(自身の備忘をかねて…)
「オイルマッサージ」というと、女性しか入れないお店も少なくないと思います。
紙性の下着一枚で女性施術者から施術を受ける解放感から、勘違いする不届きな男性客も少なくないのでしょう。
自身が施術を受けるのを逡巡した理由もここにあります。
アラサー独身男性が訪れて、施術者に迷惑が掛かりやしないだろうか…
施術者を不安がらせないよう、細心の注意を払いましたが、そのような邪さを微塵でも感じさせるこの思想は、一面において、やや傲慢の感があったやも知れません。
- 相手は、わたしよりも年下でありながら、一流のセラピストさんでした。
着替えや飲み物を飲む時間を含め、2時間弱にわたる施術のあらゆる場面に無駄がなく、かつ常に客を思いやるホスピタリティを忘れていませんでした。
施術後は、レビューの記載をお願いすることも忘れません。
- その点では、目的をもって今日をしっかりと生きる、一人の個人事業主でした。
「20代なのにしっかりしているな」で済ませるのは簡単です。
しかし、ふと自分ごとに置き換えてみます。
日々を漫然と生きて、上司の指示を唯々諾々と遂行し、所掌業務以外の「雑事」を抱え込まないよう勤しむ私に、彼女のようなプロフェッショナリズムは、果たしてあるのでしょうか。
今日、私は、「これをやるんだ」と、目的を持って生きたであろうか?
「これをやり遂げた」と言えるものはあるだろうか?
施術者を不安がらせないよう
なんて姿勢は、自身の傲慢さそのものです。
こういうところに、(まったくそんなところはないのに)潜在的なエリート意識がのぞいているように思えます。
ただ会社に行って、茶坊主として何の役に立っているか甚だ怪しいままごとをして、忙しく働いているふりをしているだけなのだ。
「勘違いしちゃいかんよ!」と、鳴尾浜での平田2軍監督が、自身に語り掛けます。
帰宅の途に就き、鉄道の高架橋の向こうに沈む夕日を見ながら、今日もまた、自省を深める外在的な仕組みがないと自律できない自分を思うのでした。
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