万事低調な旧帝文系薄賃労働者

他人に無関心で面倒くさがりな完璧主義者。目指すは、簡素な真人間

センター試験②

前回、12年前に受験したセンター試験について記してきましたが、思いのほか、熱くなってしまい(正直に言うと、まあまあのボリュームになるのかなとの未必的な思いもありました…笑 普通に気持ち悪いですね)、1日目を書き終えたところで3,000文字近くになってしまったので、投稿を分割しました。

↓前回記事(センター1日目)

bamboodancer.hatenablog.com

気を取り直して、センター2日目の記録です。

 

2.2011/1/16(日)

前日に引き続き、車で会場へ。この日は雪も降らず、いつもの1月中旬の天気という感じでした。

前夜、「あんたの受験が心配過ぎて、夕飯が作れなかった」との母の言で、近所のすき家で家族4人分の夕食をドライブスルーしました。

やることはやった」との思いで、逍遥として受験に臨んでいた私よりも、かえって家族のほうがプレッシャーを感じていた模様です。

私は、いつも注文する高菜明太マヨ牛丼を嬉々として食べていましたが、こたつで囲んだ食卓では誰一人発言せず、団欒とは程遠い異様な空気に包まれていたのをよく覚えています。

 

2日目は、理系科目を受験します。

私は文系のため、数学Ⅰ・A、Ⅱ・Bと、地学Ⅰと、計3科目の受験です。

1日目、幸先いい滑り出しで気分良好でしたが、最後まで気は抜けません。

  • 数学Ⅰ・A(目標:90点)

文系ですが、数学は得意でした。

解き方を覚えればある程度のレベルの(国立)大学の問題に与することができる文系数学。センター試験レベルであれば、そこまで大事故を起こすこともなく、コンスタントに8~9割の得点率を記録できる水準に達していたため、本番もさほどのプレッシャーを感じることなく受験に臨みます。

論理問題~図形、確率と、ごく標準的なレベルの問題が続きました。前年の数学Ⅰ・Aの難易度が高かったため、易化することは予想していましたが、それでもだいぶ平易に感じました。

無理に攻めすぎず、解けるところまで解き、手応えを感じつつ終了。

  • 数学Ⅱ・B(目標:80点)

Ⅰ・Aに加え、Ⅱ・Bも比較的得意でした。もっとも、コンスタントに得点できる微分積分に比べると、数列、ベクトルはやや得点の振れ幅があり、Ⅰ・Aほどの自信はありませんでした。

ここまでの各科目の出来も比較的良かったことから、満点に近い得点は目指そうとせず、8割をしっかりとり切ろう、と考え望みます。

微分積分までは迷うところなく、数列、ベクトルへ。

いつも通り、前から順番に解きますが、数列の左ページ、最後の問題で躓きます。終了後、理系の同級生の発言で気が付きましたが、この年、隣接3項間漸化式が出題されていました。

「文系じゃ絶対に解けない」というレベルではありませんが、センター数学ではやや異質な出題です。やや面喰いつつ、誘導に乗りながらなんとか左ページを解き終えたところで、「これ以上食らいつくのは得策ではない」と、スパッとあきらめベクトルに向かいます。

これが奏功しました。

ベクトルはほぼ満点をたたき出し、戦略通りに進めることができ、大事故を防ぐことができました。

  • 地学Ⅰ(目標:85点)

この後、長い休憩に入ります。

化学→物理・地学 の順に行われますが、私は地学受験者のため、ラウンジで過去問を見ながら待機しました。

地学は得意科目でした。

受験者が圧倒的に少ないことから、「平均点ほどの難しさはない」「無勉で受ける文系受験生も相当数存在するので、まともに勉強すれば、容易に高得点が取れる」「暗記量は少なく、計算も中学の1次方程式レベル」などの言説がネット上に飛び交う中、思い切って地学選択を決意した高2の春。

結果的に、この時の選択が大成功でした。

前年に比べて、易化。

例年、鬼門とされている地形図の問題も、迷うところのないごく平易な問題でした。

唯一迷った天体の問題も、消去法で正解をたたき出すことができ、最終日最終科目にして有終の美を飾ることができました。

 

3.結果

国語      165

数学Ⅰ・A 89

数学Ⅱ・B 88

英語   181

日本史B  95

政治経済   97

地学Ⅰ  100

合計   815

 

高校3年間の学習の成果が出せた、と思っています。

  • これと言って高校でやりたいこともなかったこと
  • 家庭の事情で、浪人は許されず、入学する大学が限られていたこと
  • 田舎の高校だったため、都会の学習塾に通うこともできないこと
  • 近しい親族で大卒者がいなかったことから、相応のレベルの大学を出てまともな職業に就きたかったこと

等の事情から、高校3年間は基本的に自主学習に励んでいました。

塾で対策を重ねた全国の高校生・浪人生を相手にすること、田舎の(自称)進学校の指導に若干不安があったことから、念のため、ベネッセで学習していましたが、塾等には一切通いませんでした自分が恐る恐るパワープレーで突破したのを反面教師に、今後、子供ができた際には、塾に通わせて、安全・確実な道を進んでほしいな、と思う気持ちがあります…)

時間的・費用的制約がありながらも、できる限りのバックアップをしてくれた親にも、感謝しています。

 

4.総括

自分の地頭・スペック、親の学力からすると、むしろ出来すぎな感すらあります

「過去の偶然の栄光に縋っているだけ」と、自身でも少し思いますが、同時に、やり切ったからこそ得られたものは、その後の自分の自信になると思います。

偶然、そこそこの成績が出た、というのもありますが、芳しい結果が伴わなくても、自身で「ここまでやったのだから」と納得してやり遂げたことに対する意識は全く異なるものになると思います。

ただ、大人になると、連続的にやってくる納期、成果の要求水準と所要時間を適切に測定する能力など、単に結果を出すだけでなく、その過程についてもマネジメントしなければなりません

圧倒的な勉強量によるパワープレイに縋って切り抜けてきた経験は、自身の「勝ちパターン」になったのは間違いないですが、社会人として仕事をこなす現在は、その限界、更には置かれた環境に応じたフレキシビリティを発揮する重要性もまた同時に感じさせられます。

 

この「点数」という結果は結果として、生涯胸の内にとどめ(思いっきりブログで披歴してますが!!笑)、社会人として、自身の能力とキャパシティーを謙虚に見つめなおしつつ、一市民として平穏無事に過ごしていきたいと思う、今日この頃です。